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平成5年(1993年)5月18日の朝日新聞です。JRがサハリンの旅4泊5日で21万円で
ツアー募集しているという記事です。

名寄のJR旅行センターに電話して、その日に即、第一陣に申し込みました。

この時、ヨーロッパ、オーストラリアに飛行機で15万弱で行って来れるのに、
稚内から肉眼で見える島に行くのになんで21万もかかるのという疑問は
飲み込んでしまいました。

パスポートや証明写真、住民票と渡航の準備を開始しました。渡航は7月です。

サハリン解禁

1989年3月 サハリンの外国人立ち入り禁止区域指定が解除

1991年2月 コルサコフ港が国際貿易港として公式に開放され

         5月2日に稚泊航路が復活しました(戦後46年ぶり)

 

コルサコフ行きのフェリー前での

お約束の記念写真です。

第一陣ということで、情報が

少なく「怖いもの見たさ」で

ウキウキ気分でした。(^^ゞ

利尻航路ターミナルから南方にある

岸壁から乗り込みました。

船名は「ユーリツォリフォーノフ号」

話題性からか報道陣も多かったです。

11時30分に出航しました。

2時10分で島影はサハリン南端

クリリオン岬でレーダードームの

白い球が見えました。

天気は快晴、波静か、湾に深く入り込むにつれ、蜃気楼が見えるような日和でした。
初めてみるサハリンの島影に興奮気味です。
船内食事です。

美味しかったです。

17時55分

コルサコフ港に接岸

目前の箱型住宅の風景は

ロシアのものでした。

人口は約5万人で戦後、軍港化し

一般船舶の入港は禁止でしたが

1991年に国際貿易港として

開放されました。

着岸後しばらくしてアナウンスがあり、まだ下船できる状態になく入国審査も船内で行うか

下船後に行うか決定していないとのこと。最初からこの調子で、まるで他の惑星に

来たように感じました。

結局、下船後に入国審査と決まり

← ここで現金のみ調べられました。

さすが、社会主義が抜け切らないのか

検査官はまるで人形のように無表情

なのは不気味さえ感じました。

入国審査が終わり、バスでコルサコフ

からユジノのホテルに向かいます。

写っているバスはおそらくこの島で

唯一の近代的なバスでしょう。その後の

観光で見かけることはありませんでした

宿泊はユジノサハリンスク駅に

隣接するホテル「ユーラシア」。

生バンド演奏も入り、お約束の

「カチューシャ」にはジーンと

きました。

ホテル「ユーラシア」の43号室です

サハリンでは1級のホテルですが

設備は日本のビジネスホテルと

同じレベルでした。

1991年5月にオープン(改装)

ホテル「ユーラシア」はサハリン国鉄の職員用宿泊施設を改善したものだそうです。

サハリンでも1,2位のホテルなのですが、ホテル表玄関のカギは「かんぬき」でした。

客室では温水が出ましたが、トイレに換気扇も窓も無かったのはお国事情でしょうか。

観光の看板列車「レトロ」号です。

戦後賠償物資として海を渡った

SL=D51−4です。

ツアーはこの蒸気機関車で

ホルムスクまで行き、そこから

寝台列車に乗り換えて

一泊二日の周遊の旅に出ました。

↓ユジノサハリンスク
↓ホルムスク
↓イリインスク
↓アルセンチェフカ
↓ドーリンスク
ユジノサハリンスク

レトロ号車内販売

ワゴンを押してくる日本タイプ

ではなくて、座席上に見える

トレイにお土産等をのせて

回ってきました。

ホルムスクから乗り換えた

寝台列車「ユーラシア号」での食事

 

箸も添えてあるのは助かりました。

続く  パート2  

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