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下記の記事はツアーを終えてから、北海道新聞に投稿した記事です。

私達のツアーは、サハリンが開放されてから一般に募集されたツアーの第一陣でした。

今思うに、例えば、ユジノ市内をバスで観光して、ユジノを見渡せる展望台に行った時、

7,8人の幼い子供達が寄ってきて、バッジをくれるのです。子供達は何も要求はしないのですが、

私達は使い道もなく日本に持ちかえる事も出来ないルーブル紙幣や小銭を無造作に手渡していました。

その当時(1993年)、1ルーブルが10銭という為替レートで私達も感覚が麻痺していたのも事実です。

現在(2002年)、サハリン旅行者の紀行文を読みますと、旅行者が物を要求されるという

場面が多々あるようです。

私達の思慮のない行動がわずかでもあとあとまで影響を与えていったのかと思うと、

心苦しく思います。

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