ちほく高原鉄道
ふるさと銀河線は2006年4月20日が最終運行となりました。

翌21日から五日間かけて全線の北見〜池田間140.0kmの線路上を歩いた記録です。


一日目の記録(4月21日) 置戸駅→北見駅 30.6km
二日目の記録(4月22日) 陸別駅→置戸駅 32.0km
三日目の記録(4月23日) 陸別駅→足寄駅 32.8km
四日目の記録(4月24日) 足寄駅→勇足駅 23.8km
五日目の記録(4月25日) 勇足駅→池田駅 20.8km


三日目の記録(2006年4月23日) 陸別駅〜足寄駅間 32.8km
陸別駅

この日も天気は悪く、冷たい風が吹きぬけていました。

繋留されている銀河線車両が寂しげです。


陸別川橋りょう

廃止後の橋梁はどう処置されるのかちょっと気になりながら渡りました。もし、全て撤去されたなら銀河線廃線ウォーカーにとっては死活問題ですね。


撤去するにも莫大な資金が必要でしょうからこのまま放置されるかもしれませんね。


薫別駅

陸別駅 → 薫別駅 6.7km

所在無げにホームがあるだけです。周辺には酪農家でしょうか、2軒くらい目に入りました。

空が明るくなって来たので気分も軽く感じてきました。


大誉地駅

薫別駅 → 大誉地駅 4.2km

ムネオさん出身地で有名な駅です。待合小屋があるだけの駅かなと勝手に想像していたのですが、なんとなんと小屋ではなく立派な駅舎としての形態を備えていました。以前の国鉄でパターン化されていた駅舎の姿です。

ウォーク三日目にしてやっと青空の入った画像になりました。


笹森駅

大誉地駅 → 笹森駅 4.3km

周辺にも何もありませんでした。


銀河線にはたくさんの橋梁がありました。最初に橋梁を渡った時はおっかなびっくりでしたが、次第に慣れてきたのですが、大きな川では雨の後なので水量も多く、下を見ると足がすくんでしまいます。


上利別駅

笹森駅 → 上利別駅 4.4km

駅舎がありました。裏手は原木置き場と製材所があり、二昔前の山間の駅ではどこにも普通にあった風景がありました。




塩幌駅

上利別駅 → 塩幌駅 2.5km

全天青空になりました。
周辺には比較的新しい?廃屋と古いタイプのサイロがあるだけでした。


西一線駅

塩幌駅 → 西一線駅 1.9km

廃墟と化した待合小屋と亡霊化したトイレ小屋がありました。このトイレも新築の時があったのだと思うと時の流れの残酷さを感じないわけにはいきません。

橋梁には全て名前が付いているそうですが、この橋梁もいつの日か、人の視界から消え去る日が来るのかも知れません。


愛冠駅

西一線駅 → 愛冠駅 3.3km

名前の語感から旧広尾線の『幸福駅』版のような駅です。以前はここで結婚式も行われたことがあります。



愛冠駅そばには踏切りの警報機や遮断機が横たわっていました。立っている姿しか見たことがない警報機が横になっている姿は奇異に感じました。




前方に足寄駅のタワーが見えます。

隣の国道の橋と並ぶ銀河線の橋梁です。


足寄駅

愛冠駅 → 足寄駅 6.1km

ご存知、松山千春さんの出身地。タワーには階段を184段上ります。結構重労働ですが、眺めは良いです。

最終運行日の4月20日、さよならセレモニーの来賓として来た千春さん、隣にはムネオさんも。

千春さんの挨拶の中で
『果てしない大空と広い大地のその中でいつの日か幸せを自分の腕でつかむよう ♪〜♪』とだけマイク一本生で唄いました。



   
   




 
一日目の記録(4月21日) 置戸駅→北見駅 30.6km
二日目の記録(4月22日) 陸別駅→置戸駅 32.0km
三日目の記録(4月23日) 陸別駅→足寄駅 32.8km
四日目の記録(4月24日) 足寄駅→勇足駅 23.8km
五日目の記録(4月25日) 勇足駅→池田駅 20.8km